- 肴町のはじまり
- 元亀元年(1570年)に徳川家康公が浜松に城を構えたころ榎門付近にいた数軒の魚商を、二代目城主の堀尾吉晴が天正十八年(1590年)に今の元魚町付近に移しました。 その後魚商の数も増え城から遠く不便だったのと酒の肴や料理を扱う店も出てきたので、慶長五年(1600年)に再度浜松城の近くに移転させ鮮魚より幅広い意味を表す肴の字を使い現在の場所に「肴町」が誕生しました。
- 肴町の由来
- 寛文八年(1668年)には肴町の庄屋六人が築城当時より家康公から許された商売(魚商)であることを示すため「御由緒書」を城中へ提出し、西は舞阪から東は掛塚の間で獲れた魚鳥を優先的に買い上げる専売権を得ました。 それから120年後に戸数が124戸となる慶応元年まで浜松城下に肴町以外の魚商はありませんでした。そのような経緯で浜松大空襲以前は肴町通りの真ん中に魚がし(三星魚市場)があり周辺の町からも買い付けに来ていました。
- 華やかな肴町
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戦後の復興から昭和三十年代の浜松は繊維業を中心に好景気だったため、肴町には高級料亭なども増え宴会に華を添える花柳界も隆盛を極め、関連する芸者置屋ほか和楽器や小間物の店なども活況を呈しました。
昭和五十年代には全国的にDCブランドブームとなりブティックや美容院が多く出店し肴町はファッションとグルメの街として賑わいました。
平成九年には肴町通りの無電柱化と路面の天然石舗装が実現し落ち着いた大人の景観を生み出しています。 現在も肴町は常時新しい店が出店し町の新陳代謝が繰り返されていますが、創業百年以上の老舗と流行の先端をいく店が混在し味わいのある街並みを形成しています。
歩いて楽しい肴町
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HIGHWAY出世街道
出世街道沿いの道路や街路灯に貼られている路面シート、ステッカーを目印に歩を進めると、浜松城にたどり着くことができます。「出世城」と呼ばれる浜松城に通じる出世街道を散策することで、家康公の出世運にあやかることができるでしょう。
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STONE STATUE OF CAT肴町のだるま猫
江戸時代より浜松城の台所として栄えていた肴町には、魚河岸があり料理店も多くたくさんの猫が住みついていました。
その中に、だるまのように丸くて福々しく仲の良い二匹の猫がいたということです。 右側オスの魚をくわえた「まる吉」は、大安寺の軒下で生まれたという野良猫です。
やんちゃで遊び好きで、お酒やお祭りも大好きだったようです。
左側メスの「たま子」は、家康公御用達だった肴町の魚問屋で生まれた飼い猫です。
明るく働き者の、お洒落で買い物好きな猫でした。
なかなかの食通でもあったようです。 肴町発展会では、この二匹をモチーフに石像を作り平成二五年二月二十二日(猫の日)
に氏神様の松尾神社にご祈祷をしていただきました。
二礼二拍手一ニャンでお願いすると、縁結び、立身出世、商売繁盛にご利益があるといわれています。
仲の良いだるま猫の福が、みなさまに訪れますように。
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FLAGSTONE石畳を泳ぐさかな
町に入った途端、街の雰囲気にほんのり情緒を感じるのは、電線や電柱がなく、表情豊かな石畳が敷かれているからかもしれません。
45度に傾けた天然石を交互に組み上げた石畳は「網代張り」と呼ばれます。 さらには町のあちこちに鮃や鰹、鱸などがデザインされたマンホール。
「肴町」ならではの多彩なレリーフを見つけられます。
通りを横切る猫も思わず立ち止まる!? どんな魚がどこにいるのか、“隠れ魚マーク”を探しながら歩くのも楽しみです。
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