桝形
先々代が戦火から守り抜いた『半纏と丼』
戦前までは伝馬町に「江馬殿小路」(通称:うまいもの小路)と呼ばれる通りがあり、飲食店などが軒を連ねて賑わっていました。
桝形の創業時は「天ぷらの桝形」と言い、その江馬殿小路で、映画監督・木下惠介氏の実家である「尾張屋」(つくだに屋)と隣り同志で商売をしていました。木下惠介氏は、桝形の二代目(現四代目の祖父)と同級生であったので親しくされていたようです。桝形は、戦後、昭和23年に市の換地により現在地で、割烹旅館として営業を再開。現在は、割烹料理店「桝形」として商いを続けています。
この丼は、先々代が疎開する際に戦火を免れるために地中に埋めて残しておいたもので、かの木下惠介氏もこれで天丼を食べたかもしれないと思わせる一品です。また、半纏は、戦前に仕事着として使用していたもので、これもまた、店も蔵もすべて焼失した中で無傷で残った貴重なものです。
背中には、桝形の家紋が刺繍されています。